2010年3月7日日曜日

川野の車人形

3月5日、奥多摩の川野地区に伝わる車人形の上演が、川野生活館で行われた。この上演は、箭弓神社の祭礼に奉納されるものである。


私たちの車はJR青梅線の終点奥多摩駅を通過して、奥多摩湖に出て、さらに湖畔に沿って西に進む。湖の細くなった箇所に架かっている峰谷橋を渡り、麦山橋で小袖川を横切ると、川野トンネルがある。この川野トンネルが貫通している、奥多摩湖に突き出した小さな岬状の隆起した土地に川野生活館がある。

川野トンネルを出たところに駐車場があり、後でここに車を停めることになるが、まずは昼食を食べに更に青梅街道を山梨県側に向かって進む。深山橋を渡ったところにある陣屋で昼食をとる。

よくこの日は晴れていて、よく晴れた空には何羽かの鳶が風を受けてゆったり旋回している。この陣屋という食堂には先客の男性が一人。身なりからして、タクシーの運転手らしい。表の通りは、ときおり車が通るが、総じて静かでのんびりした感じだ。

蕎麦定食を注文したが、蕎麦にご飯と、おかずとしてはさしみ蒟蒻などがついているもので、1400円なり。蕎麦は適度なコシがあって美味い。


さて、食事を済ませて先ほどの川野トンネル付近の駐車場まで戻り、そこに車を停めて生活館とやらへ徒歩で向かう。駐車場からは、歩いて3分程度の場所である。


会場は、生活館の中の二つの座敷の間の襖を取り除いて、二部屋を連結して使用している。片方の部屋に小さな舞台が設置してあり、垂れ幕が下りている。開演30分程度前に到着したのだが、すでにビデオやカメラの機材を持った人たちが大勢来ていて場所を占拠していた。と言っても、彼らはみな三脚を会場の後の方に据えているだけで、前の方はガラガラである。おかげで、私たちは、前の方の良い場所に座ることができた。

この日の演目は、「御祝儀三番叟(ごしゅうぎさんばそう)」と、「日向景清一代記」より、「人丸姫道行段(ひとまるひめみちゆきのだん)」、「阿古屋自害(あこやじがい)」、「獄舎破段(ごくややぶりのだん)」である。しかし、その前に、関係者の方々が舞台に上がって、神様としての三番叟の人形に向かって礼をした後に、お米を舞台に、そして客席に撒く(武蔵御嶽神社で夜神楽を観賞したときも、「大散供・剪(だいさご・きり)」という演目に米を撒くシーンがあったが、米を撒く動作は重要な意味を持つらしい)。その後、関係者が地酒澤乃井を酌み交わし、柏手を打つ。

一旦幕が閉じ、やがて、拍子木が鳴り、「東西」(「とざい、と~ざ~い」ではなくて、「とーざい!」)と一言あり、これから上演が始まる旨が告げられると幕が開く。

最初の演目の「御祝儀三番叟」は、舞台の無事と観客の無病息災を祈願する神舞である。人形は、かわいらしい感じであるが、動きはダイナミックで、時にひょうきんな表情を見せながら、楽しげに踊る。この三番叟により場が清まった。


三番叟が終わると、その後の演目三つは、いずれも「日向景清一代記」という、平安末期の武将にまつわる物語であった。平家方に与する武将であり、すでに壇ノ浦で平家が滅亡した後も頼朝に一矢報いんとつけ狙うが、結局頼朝勢に捕まって投獄される。

そのうちの「人丸姫道行段」と「獄舎破段」は、地元の小学生や中学生によって演じられ、「阿古屋自害」は川野車人形保存会の人形遣いによる。

大人の演技もさることながら、子供の方の演技も、人形の動きがたいへん表情豊かであり、観客をストーリにどんどん引き込んで行く力がある。ろくろ車に腰掛けて、両手両足で操作する人形であるがゆえの表現状の制約が見えるが、むしろそれを逆手に取って利用するような表現手法がところどころに見てとれ、素晴らしい芸術にまで高められていると感じた。

たとえば、阿古屋自害では、阿古屋が二人のわが子を刺殺し、最後に自害する場面があるが、演じられる凄惨な殺人と自害の様子には、一瞬目を背けたくなるくらいの迫真性がある。人形が人間以上にリアルな存在として迫ってくるところが、車人形の面白さだろう。


この芸能は、小河内・中山地区の人達の並々ならぬ努力によって支えられている。「川野車人形を伝える会」という組織が「川野車人形子ども教室」という取り組みを行い、この取り組みの中で、「川野車人形保存会」が、小河内・中山地域の小中学生に、この芸能を伝授しているようである。

子供たちが稽古で集まるにも、交通の便が悪い地域である(この日は、電車とバスを乗り継いでここまで来るつもりでいたが、結局車になった。バスの便が悪いためである)。稽古の際の子供たちの送迎や、稽古会の準備、片づけなども保護者の皆さんの協力があって、初めてこのような活動が成立するのである。

ここで、ひとつ心配なことは、過疎と高齢化の問題である。保護者や保存会の皆さんが協力して、子どもたちに、この芸能を伝授しているわけだが、やがて子どもたちも成長すれば、学業や仕事の都合でこの地域から転出せざるを得ないことになるのだろう。子どもたちが、再びこの地域に戻り、この車人形を保存・継承して行くというのは、それこそ希望的観測というものだが、しかし、やはり郷土芸能というのは、その土地に住んでいる人の手によって伝承されて行くべきなのだろう。この川野の地域が衰退して行けば、この芸能自体の存続も危うくなるのではないか。

たとえば小河内神社の「鹿島踊り」は、国指定重要民俗文化財であるが、これを伝承する舞い手たちには、奥多摩町の外に住んでいる人たちもいて、稽古は羽村市で行っていると聞いた。そして小河内神社の祭礼の時に集まって舞を奉納するようだ。このような場合は、伝承者の世代交代が進むにつれ郷土への帰属意識は薄れてしまうであろう。この優雅な鹿島踊りも、もちろん後世まで伝承されて行って欲しいが、現状のような状況で果たしてうまく行くかは疑問なのである。

いずれにしても、私は、このような貴重な文化財が長く後世に伝わっていくことを切望するものである。いろいろな土地に、風土に応じた多様な郷土芸能が伝わっている。皆さんも、ご自分の目でそのいくつかに実際に触れて、その素晴らしさを確かめてみて欲しい。

とうことで、本日の投稿は、車人形上演の開始に際しての清酒澤乃井での乾杯以外は、日本酒とほとんど関係ないものになったしまいました。酒ネタを期待して読んでいただいた方には申し訳ありせんので、酒蔵の見学ビデオ(福生市石川酒造)でもお楽しみくださいませ。


ブログランキング
いつもクリックありがとうございます⇒にほんブログ村 酒ブログ 日本酒・地酒へ

東京地酒マップ
東京地酒マップは、東京の蔵元や東京の地酒を売っているお店を紹介するための地図です。
東京地酒(複数の蔵元、各蔵元複数の種類)を置いてある酒屋さん、またそんな酒屋さんをご存知の方、どうぞ情報をお寄せくださいませ。

英語のブログで情報発信してみませんか?
たとえばこのブログの英語版は以下のサイトにあります。
SAKE, KIMONO, and TABI
詳しくは、「ある翻訳」のサイトをご覧くださいませ。

0 件のコメント: