國府田宏行氏の著作「東京の地酒」を読むと、東京都には、18場の酒蔵があると書いてあります。それぞれの酒蔵について、その歴史や銘柄、酒の特徴などの解説が掲載されており、酒好きにとっては、たいへん興味深い読み物です。この本が発行されたのが、昭和56年(1981年)となっていますので、もうだいぶ昔の話で、現在では東京都の酒蔵も12場に減っています。日本酒の日本国内における消費量は、年々減少しており、その中で毎年いくつかの酒蔵が姿を消していくという現実は、実に寂しいものですね。
上記の書籍に掲載されている酒蔵で、もう現在は廃業してしまった酒蔵に五十嵐酒造株式会社というのがあります。宇寿桜とか恋桜などの銘柄の酒を造っていたとのこと。そこの仕込み水は、いわゆる軟水にも拘わらず、この水で酒を造るといい酒が出来たということです。国税庁の鑑定官が「宝の水」と言ったとか。
青梅市大門で操業していたと書かれていましたが、そこなら家からも近くだし、ひょっとして、現地に行けば何か残っているかも知れない、あるいは仕込み水の井戸でも残っているかも、などと思い立ち出かけてみました。
JR河辺駅から北に向かって歩き、青梅街道を横切り、さらに都道63号線の交差点まで歩きます。ここには、関東の古刹、塩船観音寺の看板が出ています。大門という地名は、このお寺の門があった場所とのことです。
大門の地区に向かうには、本来は、この交差点を右に曲がるのですが、すこし直進すると、段丘状の丘の上から低くなった土地を見下ろすような位置に出ます。この低いところを霞川という小さな川が流れており、左手には奥多摩の山々が見えます。このような段丘の途中には、よく泉が湧いたりしますので、酒蔵の立地条件としてもこういう地形はよさそうな気がしませんか?
さて、さっきの63号線の交差点まで戻り、東に進んで行きます。400メートルくらい行くと野上二丁目というY字に分岐する交差点に着きますが、ここは左の道を進みます。
しばらく行くと大門という交差点がありました。この交差点を左折してしばらく行くと、大門図書館の看板が見えます。図書館で青梅市の歴史資料を当たれば、五十嵐酒造のこともわかるかも知れませんが、あいにく当日は、1月2日で図書館は正月の休み中でした。
さらに進むと、坂を下り、そして霞川を渡ります。酒蔵があったとすれば、仕込み水の調達上、この辺の可能性が高いかなと考えつつもさらに歩を進めます。
すると、霞川よりももっと小さな大門川というのがありました。どうも、この近辺が怪しい気がしますが、酒蔵の形跡(煙突とか、広い敷地の蔵造りの建物とか)が見当たりません。
この大門川も渡り、歩き続けて、ついには塩船観音寺まで来てしまいました。参道には出店が並んでいて、お正月らしい雰囲気です。
その後も、近辺をあっちこっち歩きまわりましたが、結局、先ほどの霞川や大門川周辺の坂のある当たりが、湧水の関係で酒蔵の立地条件に合いそうだと思いました。そこで、再度、そこまで戻ってみることにしました。ちょうど、その辺に蕎麦屋もあったので、そこで昼食を食べながら、店の人に聞けば何かわかるだろうとも考えたのでした。
ここで天婦羅蕎麦をいただき、店のおばちゃんに、「この付近にひょっとして昔酒蔵ありませんでした?」って聞いたところ、「ありましたよ。すぐそこに」と、あっさり教えてくれました。
大門川の畔の、慶友病院があるところに、酒蔵があったとのことでした。蔵元が、廃業後に、土地を病院側に貸したようです。そして、現在、蔵は跡形もなくなっているそうです。まあ、酒蔵があった場所がわかったからと言って、どうということもないのですが、なんとなく満足した一日でした。あちこち歩きまわったので、けっこう脚が疲れました。帰りに河辺駅前の、「河辺温泉梅の湯」で、脚の疲れを癒してから、家に向かいました。
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